shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 3

  2017 星の巡礼奥の細道2400kmをたどり、恐れながらわたしも一句』 3

                    
 ① 深川⇒千住⇒春日部泊⇒草加⇒儘田⇒日光 (2)

6.「採荼庵跡」 (さいとあんあと)  採荼庵跡/芭蕉座像

いまにも奥の細道に出かける、旅支度をした芭蕉が採茶庵の縁側に右手に杖をもち、左手に笠をもって座っている。
 
「採荼庵は、江戸時代中期の俳人杉山杉風の庵室である。杉風は屋号を鯉屋、俳号を採荼庵、五雲亭などとし、隠居したのちは一元と名乗った。家業は魚問屋で鯉上納の幕府御用も務め、小田原町中央区)に住んでいた。松尾芭蕉の門人でもあり蕉門十哲に数えられ、芭蕉を経済的に支援したパトロンとして知られている。

芭蕉は、奥の細道の旅に出る前、住居としていた芭蕉庵を手放し、しばらくは採荼庵ですごした。門人たちと別れを惜しんだのち、舟で隅田川をのぼり、千住大橋のたもとから奥州へと旅立っていった。」  江東区史跡案内より一部抜粋)
 
今回、奥の細道をたどるわれわれも、採荼庵跡に座する芭蕉像とともに出立の記念写真におさまった。冒険仲間である体の不自由な祥介氏(同志社大学ローバスカウトOB仲間) と 長年の旅友である 昌一氏(ピースボート船友) をも写真参加に連れだした。

われわれは道元禅師の教えである「向かわずして愛語を聴くは、肝に銘じ魂に銘ず。愛語よく回天のあるを学すべきなり」で結ばれ、心の発するコミュニケーションの交流をもっている。
みなで句碑の前に立ち芭蕉の世界に遊びたいと思っている。
 
今回もまた、奥の細道の心象風景と芭蕉の俳句をとおしてテレパシーの交感を楽しみたい。
 
芭蕉曽良は、採荼庵辺りから舟で隅田川を上り、千住大橋「矢立」で舟をおり、奥の細道をスタートさせている。

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奥の細道出立にあたって移り住んだ「採荼庵跡」            芭蕉翁と 奥の細道をたどるにあたって記念写真

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芭蕉翁と祥介氏(写真参加)                                       芭蕉翁と昌一氏(写真参加)

 
7.「深川江戸資料館」  芭蕉句碑「古池や」 


江戸末期の深川の船宿や長屋に興味のある方は立寄られたい。ここにも芭蕉の「古池や」の句碑があるという。

 
8.「長慶寺」  芭蕉ゆかりの塚


清澄庭園入口通りに戻り右折、小名木川・高橋をわたり北へ約1.2km自転車を走らせると、「新大橋通り」歩道橋にでる。ここは、地下鉄・都営大江戸線森下駅」である。交差点より北へ1つ目の道を右折し約50m先、左側に芭蕉ゆかりの長慶寺がある。


ただ寺門に寺名が掲げられておらず、確認するには時間がかかった。


境内には発句塚、時雨塚、短冊塚とも呼ばれた「芭蕉翁句塚跡」がある。句塚は戦災で失われ、現在は台石が残るのみとなっている。

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長慶寺山門                                        長慶寺境内・芭蕉句塚台石

 
9.「要津寺」(ようしんじ)  □芭蕉句碑「古池や」


長慶寺より交差点「森下駅前」にもどり、西へ約400m先の「東京東信用金庫」を右へ、約300m先の交差点「新大橋2丁目北」を右へしばらく行くと、左側に「要津寺」がある。


この寺にも、芭蕉句碑「古池や」がある。


要津寺より引き返し、「新大橋通り」を西へ100m、隅田川に架かる新大橋手前を南へ300m走ると、右手にスタート地点であり、ゴール地点である「江東区芭蕉記念館」に帰着する。

これより深川を離れて日光に向かうが、途中の素戔嗚神社(すさのお) にある芭蕉句碑「行く春や」、その先の
千住大橋  石柱「奥の細道 矢立初めの地」、そして歌枕の地「室の八島」を訪ねる。


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要津寺・芭蕉句碑「古池や」

 
素戔嗚神社(すさのお) □芭蕉句碑「行く春や」


千住大橋の手前、荒川区にある素戔嗚神社(すさのお)に芭蕉翁を描いた芭蕉句碑、芭蕉旅立ちの句「行く春や」が、大銀杏の脇にある。 石碑の下の方に、芭蕉翁の姿が彫られている。


芭蕉句碑 「行春や 鳥蹄き魚の 目は泪」            「春霞別れも辛き 三度笠」  實久  
             (いくはるや とりなきうおの めはなみだ)                   (はるがすみ わかれもつらき さんどがさ)


石碑には、芭蕉奥の細道」矢立初めとなった有名な一節が刻まれている。


『千寿といふ所より船をあがれば
前途三千里のおもひ胸にふさがりて
幻のちまたに離別の
なみだをそそぐ「行く春や鳥啼き魚の目は泪」』


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素戔嗚神社(すさのお)                           芭蕉句碑「行く春や」


また、画家・翻訳家であるロバート・リードは「ぼくの細道」で芭蕉の旅立ちで詠んだ句を次のように英訳している。


「行春や鳥啼き魚の目は泪」  芭蕉


departing spring
birds cry,in fishes eyes
are tears



千住大橋  石柱奥の細道 矢立初めの地」


芭蕉曽良は、芭蕉庵より出立のため移り住んだ採荼庵近くより、おおくの門人やパトロン(支援者)、関係者に送られて舟に乗り、隅田川をのぼって千住大橋の「奥の細道・矢立初めの地」で舟をおりる。


いよいよ芭蕉曽良は、奥の細道初めの地・矢立を立ち、半年の月日をかけて2400km、奥の細道結びの地・大垣に向った。


奥の細道に歩を進めるにあたっての情景説明が、史跡「おくのほそ道矢立初の碑」に書かれているので紹介しておく。
史跡「おくのほそ道矢立初の碑」から出立の情景を見てみたい。


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隅田川千住大橋奥の細道・矢立初めの地」               


「千じゆと云所にて舟をあがれば、
前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに別離の泪をそゝく
行く春や鳥啼魚の目は泪
是を矢立の初として、行道なをすゝまず
人々は途中に立ならびて後ろかげのみゆる迄はと見送なるべし」(表面)

「江戸時代の俳人松尾芭蕉の著わした俳文紀行「おくのほそ道」は、日本の古典文学として内外に親しまれている同書によれば、深川を船で出発した芭蕉は旧暦元禄2年(1689)3月27日千住に上陸し旅立っていった千住の河岸には古くから船着場があり、このあたりが上り場であった。千住は、寛永2年(1625)、3代将軍家光のとき、日光道中の初宿に指定され日光・奥州・水戸の各道中の宿駅としてにぎわった街薄暑奥の細道ここよりす」(裏面)

余談だが、「矢立初めの地」碑は千住大橋北西詰にある。深川より日光への拠点移動には車によるため千住大橋を渡ったすぐの信号を左折することになるが、これが一方通行であり、進入禁止である。また進入車を見張るかのように交番が角にある。車による「矢立初めの地」立寄りには注意願いたい。


千住大橋より北へ2番目の信号を左に入り、進入禁止の1番目の信号へ向かうと角の交番にでるので書き添えておく。


間違って進入しかけたところ、さっそく交番の警察官による指導を受けた。しかし、「奥の細道」への初日に免じてお灸をすえられたうえ放免された。そのうえ丁寧な道案内により芭蕉曽良による奥の細道「矢立の初めの地」に立つことができた、感謝である。


担当の警察官もまた芭蕉フアンであり、奥の細道における「矢立初めの地」の意味を理解されていたのではないだろうかと、近い親しみをもった、と勝手におもっている。


われわれの奥の細道出立は、お巡りさんひとりの静かなる旅立ちとなった。


 
◎歌枕の地「室の八島」


日光へ向かう国道4号線沿いにあるJR小金井駅より北西に約10kmのところ、栃木市惣社町に「室の八島」がある。


現在は、その歌枕の地としての情景をとどめないが、期待とは違っても夢は古に遊んだ。


しかし何より「室の八島」は、奥の細道で最初に出てくる歌枕の地である。あたりの清水から発する蒸気が「室の八島のけぶり」と見なされ、古から恋に身を燃やす「けぶり」に喩えて、多くの歌が詠まれてきた。


まずは、芭蕉が最初に訪れた「歌枕の地・室の八島」に立てたことを喜び、わたしの選んだ和歌一首を残したい。


「恋ひ死なば 室の八島に あらずとも 思ひの程は煙にも見よ」      藤原忠定


芭蕉も歌枕「室の八島」で一句詠んでいる・・・


芭蕉句碑 「糸遊に結びつきたる煙哉」          「陽炎や 恋い焦がれつつ 浮き沈み」  實久
             (いとゆうに むすびつきたる けむりかな)         (かげろうや こいこがれつつうきしずみ)

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栃木市惣物・大神神社芭蕉句碑「糸遊に」


いよいよ、深川・千住・室の八島をあとにして日光にむかう。
奥の細道」むすびの地・大垣まで、ようやく第一歩を踏み出すこととなった。
わたしの「奥の細道」も長旅である、このブログも長期にわたりそうである。


                   2017 星の巡礼奥の細道2400kmをたどり、恐れながらわたしも一句』 4
                                                          「② 日光」 につづく 


② 日光    
日光街道杉並木 家康家臣・松平正綱寄進、上今市駅東武)よりスタート  
□裏見ノ滝 奥の細道「岩頭の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に落ち」  
□句碑・芭蕉「暫時は」 バス停近くの安良沢小学校 「暫時は 滝に籠るや 夏の初め 」(しばらくは)
□句碑・芭蕉「あらたふと」 大日堂跡と東照宮宝物館に有り 「あらたふと 青葉若葉の 日の光」
□含満ケ渕(がんまんがふち) 化け地蔵 急流うずまく奇観、無数の物悲しい赤涎掛け地蔵
東照宮参詣 二荒山神社輪王寺 男体山(黑髪山)しなやかな稜線、杉並木、裏見滝
□句・芭蕉「あらたふと 」 高野家敷地内 「あらたふと 木の下闇も 日の光 」
□句・曽良「剃捨て 」   「剃捨て 黒髪山に 衣更」
□句・芭蕉「暫時は 」   「暫時は 瀧に籠るや 夏の初」