6-2 鶴岡 ⇒ 酒田 ⇒象潟 ⇒ 新潟 <奥の細道紀行 6>
鶴岡から北上し、酒田を経て、歌枕・象潟へ向かう
⑳酒田を自転車で走る<2017年5月12日>
酒田は、最上川水運と日本海海運の要衝として栄えた港町である。西の堺、東の酒田といわれるほどの隆盛ぶりであった。 酒田は室町時代からの商人の街で、東北地方の特産物を海運により日本各地にはこぶための重要な拠点であった。
<現代文> 「羽黒を発って、鶴岡の城下、長山重行という武士の家に迎えられて、俳諧一巻を興行する。図司左吉がここまで送ってくれた。 川舟に乗って、酒田の港に下る。酒田では、淵庵不玉という医者の家に泊めてもらった。」
芭蕉は、次なる目的地象潟の帰りに酒田にもどり、延べ9日間も酒田に滞在している。
36人衆の廻船問屋は、現在の本町通りに立ち並んでいた。招かれた近江屋玉志邸(廻船問屋)、寺島彦助邸(酒田港の浦役人・俳号 令道)、伊東玄順宅(医師・俳号 不玉)も本町通り近辺にあった。
◎酒田サイクリング・ルート <8km/1.5Hのコース>
◎恐れながらわたしも一句
⑳酒田 | ||
「涼しさや 海を入れたる 最上川 」 | 寺島彦助亭 | 「最上川 一口塗りし 紅化粧」 |
(すずしさやうみをいれたる もがみがわ) | (もがみかわひとくちぬりし べにけわい) | |
「暑き日を 海に入れたり 最上川 」 | 日和山公園 | 「最上川 満ちて紅花 出でし海」 |
(あつきひをうみにいれたりもがみがわ) | <継尾集> | (もがみがわみちてべにばないでしうみ) |
「初真桑 四にや断 輪に切ん 」 | 日和山公園 | 「齧りたし 丸み光るや 初真桑」 |
(はつまくわよつにやきらんわにきらん) | (かじりたしまるみひかるやはつまくわ) | |
「あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ 」 | 日和山公園 | 「湯煙に 温海沸かすや 夏霞」 |
(あつみやまふくうらかけてゆうすずみ) | (ゆけむりにあつみわかすやなつかみ) |
<寺島彦助亭/日和山公園>
招いてくれることだ。急流最上川が大量の水を海に入れて、その水量に流されて暑い太陽は沈んで
行くのである。同じ句だが、継尾集では下の句「暑き日を」になっている。
意味 :美味しそうな初ものの真桑瓜を、縦に四つに切ろうか輪切りにしようか (技巧を凝らさない簡素な
芭蕉句のひとつ)
芭蕉 「あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ 」 (あつみやま ふくうらかけて ゆうすずみ)
意味 : 暑さを吹いて夕涼む句、吹浦という酒田海岸の雄大な景色の中で温海山が夕涼みをしているという
姿を詠んでいる(この句は象潟からの帰路に詠んだもので、旅程の順序が変更されている)
恐れながらわたしも一句
観ているようだ
へて日本海に漕ぎ出さんとしている
實久 「齧りたし 丸み光るや 初真桑」 (かじりたし まるみひかるや はつまくわ)
意味 : 近江屋玉志亭で納涼の歌仙に瓜(うり)である初真桑をもてなされ、その丸みに光る何とも瑞々しい
瓜にかぶりつきたいものよ
さあ、酒田の街を自転車で走ろう。酒田駅前の駐車場をでて西に向かうと最初の大通り、県道42号線を南に向かうと、新井田川(にいだかわ)に架かる「新内橋」でる。 橋南西詰めに当時の面影を残す「山居倉庫」群が立ち並ぶ。
山居倉庫は明治26年(1893)に庄内米ほかを貯蔵するために立てられた12棟土蔵造りの米の貯蔵庫である。風よけや日よけのために、植えられた倉庫をとりまく欅(けやき)並木が美しい。 特に、倉庫裏のケヤキ並木の時代劇的な雰囲気が好きである。
中ほどにある「庄内米歴史資料館」以外は、現役として活躍しているのだから驚きである。
山居倉庫群正面入口
新井田川に架かる木製「山居橋」を渡り、豪商酒田36人衆のおおくの邸宅があった本町通りに出る。
本町通りの北側に、金融業で財を成した「本間家旧本邸」(幕府の巡見使宿舎)、招かれ即興の句を詠んだ「近江屋三郎兵衛宅跡」、「旧鏑屋」、その裏通りの四つ辻近くに「不玉宅跡」がある。
また本通りの南側、NTT先に「寺島彦助宅跡」がある。 往時、この本町通りの両側に廻船問屋が立ち並んでいたことがわかる。
本間家旧本邸 玉志近江屋三郎兵衛宅跡標柱
不玉(伊東玄順)宅跡石碑 旧鐙屋
ほかに芭蕉句碑「あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ」、「初真桑 四にや断輪に切ん」が公園内に立っている。
いよいよ象潟(にきさがた)に向かう。
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㉑ 象潟を自転車で走る につづく