shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 36

2017『星の巡礼奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 36
 
6-2  鶴岡 ⇒ 酒田 ⇒象潟 ⇒ 新潟 <奥の細道紀行 6>
鶴岡から北上し、酒田を経て、歌枕・象潟へ向かう


⑳酒田を自転車で走る<2017年5月12日>

いよいよ大河「五月雨や 集めてはやし最上川」の河口に達し、開放的な日本海の港町 酒田に立つのである。


酒田は、最上川水運と日本海海運の要衝として栄えた港町である。西の堺、東の酒田といわれるほどの隆盛ぶりであった。 酒田は室町時代からの商人の街で、東北地方の特産物を海運により日本各地にはこぶための重要な拠点であった。


奥の細道> 「羽黒を立て、鶴が岡の城下、長山氏重行と云物のふの家にむかへられて、俳諧一巻有。左吉も共に送りぬ。川舟に乗て、酒田の湊に下る。淵庵不玉と云医師の許を宿とす
 
<現代文>   羽黒を発って、鶴岡の城下、長山重行という武士の家に迎えられて、俳諧一巻を興行する。図司左吉がここまで送ってくれた。 川舟に乗って、酒田の港に下る。酒田では、淵庵不玉という医者の家に泊めてもらった。」


酒田36人衆と呼ばれる豪商の自治組織によって営まれていた。その筆頭格が鐙屋(あぶみや)であり、隣人の医者伊東玄順(俳号 不玉)宅に泊まって、連句や即興句を詠んでいる。
芭蕉は、次なる目的地象潟の帰りに酒田にもどり、延べ9日間も酒田に滞在している。


36人衆の廻船問屋は、現在の本町通りに立ち並んでいた。招かれた近江屋玉志邸(廻船問屋)、寺島彦助邸(酒田港の浦役人・俳号 令道)、伊東玄順宅(医師・俳号 不玉)も本町通り近辺にあった。


JR羽越本線酒田駅」前の無料駐車場に車をおき、自転車に乗り換え、酒田の街に飛び出す。日本海の潮風を感じる。 ここは、日本海に面する最上川河口であることを再確認する。


◎酒田サイクリング・ルート  <8km/1.5Hのコース>


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◎恐れながらわたしも一句

⑳酒田    
「涼しさや 海を入れたる 最上川 寺島彦助亭 最上川 一口塗りし 紅化粧」
すずしさやうみをいれたる もがみがわ)   (もがみかわひとくちぬりし べにけわい)
「暑き日を 海に入れたり 最上川 日和山公園 最上川 満ちて紅花 出でし海」
(あつきひをうみにいれたりもがみがわ) <継尾集> (もがみがわみちてべにばないでしうみ)
「初真桑 四にや断 輪に切ん 」 日和山公園 「齧りたし 丸み光るや 初真桑」
(はつまくわよつにやきらんわにきらん)   (かじりたしまるみひかるやはつまくわ)
「あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ 」 日和山公園 「湯煙に 温海沸かすや 夏霞」
(あつみやまふくうらかけてゆうすずみ)   (ゆけむりにあつみわかすやなつかみ)
 
 
芭蕉  「涼しさや 海を入れたる 最上川   (すずしさやうみをいれたる もがみがわ) 
     寺島彦助亭/日和山公園>


芭蕉  「暑き日を 海に入れたり 最上川   (あつきひをうみにいれたり もがみがわ) 
      日和山公園/ 継尾集での句>
意味  いままさに真っ赤な太陽が日本海に沈んで行く。この暑い日を海に納めた最上川は再び涼しさを
     招いてくれることだ。急流最上川が大量の水を海に入れて、その水量に流されて暑い太陽は沈んで
     行くのである。同じ句だが、継尾集では下の句「暑き日を」になっている。


芭蕉  「初真桑 四にや断 輪に切ん」      (はつまくわよつにやきらん わにきらん)   
意味  :美味しそうな初ものの真桑瓜を、縦に四つに切ろうか輪切りにしようか (技巧を凝らさない簡素な
     芭蕉句のひとつ)

芭蕉  「あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ 」 (あつみやま ふくうらかけて ゆうすずみ) 
意味  : 暑さを吹いて夕涼む句、吹浦という酒田海岸の雄大な景色の中で温海山が夕涼みをしているという
     姿を詠んでいる(この句は象潟からの帰路に詠んだもので、旅程の順序が変更されている)


恐れながらわたしも一句
實久  「最上川 一口塗りし 紅化粧」       (もがみかわひとくちぬりし べにけわい)   
意味  日和山(公園)より見る、日本海にそそぐ最上川の河口の艶やかさよ、まるで一口塗りした紅化粧を
     観ているようだ


實久  最上川  満ちて紅花  出でし海」   (もがみがわみちてべにばな いでしうみ)    
意味  新井田川に架かる山居橋にたたずんでいると、紅花を満載した舟がまさに酒田港を出て、最上川
     へて日本海に漕ぎ出さんとしている


實久  「齧りたし 丸み光るや 初真桑」  (かじりたし まるみひかるや はつまくわ)     
意味  : 近江屋玉志亭で納涼の歌仙に瓜(うり)である初真桑をもてなされ、その丸みに光る何とも瑞々しい
     瓜にかぶりつきたいものよ
 
さあ、酒田の街を自転車で走ろう。酒田駅前の駐車場をでて西に向かうと最初の大通り、県道42号線を南に向かうと、新井田川(にいだかわ)に架かる「新内橋」でる。 橋南西詰めに当時の面影を残す「山居倉庫」群が立ち並ぶ。


山居倉庫は明治26年(1893)に庄内米ほかを貯蔵するために立てられた12棟土蔵造りの米の貯蔵庫である。風よけや日よけのために、植えられた倉庫をとりまく欅(けやき)並木が美しい。 特に、倉庫裏のケヤキ並木の時代劇的な雰囲気が好きである。
 
中ほどにある「庄内米歴史資料館」以外は、現役として活躍しているのだから驚きである。

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山居倉庫群正面入口

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倉庫裏の欅並木                                最上川にそそぐ新井田川にかかる山居橋で


新井田川に架かる木製「山居橋」を渡り、豪商酒田36人衆のおおくの邸宅があった本町通りに出る。


本町通りの北側に、金融業で財を成した「本間家旧本邸」(幕府の巡見使宿舎)、招かれ即興の句を詠んだ「近江屋三郎兵衛宅跡」、「旧鏑屋」、その裏通りの四つ辻近くに「不玉宅跡」がある。


また本通りの南側、NTT先に「寺島彦助宅跡」がある。 往時、この本町通りの両側に廻船問屋が立ち並んでいたことがわかる。

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本間家旧本邸                                            玉志近江屋三郎兵衛宅跡標柱

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不玉(伊東玄順)宅跡石碑                                             旧鐙屋

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芭蕉もサケの干物を口にしたことだろうか  (日和山への道中で)

 
「安種亭令道寺島彦助宅跡」の標柱をあとにして、さらに西へ自転車を走らせると酒田港の先に広がる最上川日本海を見下ろす丘陵地帯の「日和山公園」に着く。日本海に沈む夕日が素晴らしいという。


公園に入った所に芭蕉翁像と芭蕉句碑「暑き日を  海を入れたる  最上川 」が立つ。
ほかに芭蕉句碑「あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ」、「初真桑 四にや断輪に切ん」が公園内に立っている。

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日和山公園に立つ芭蕉翁像 と 最上川河口と日本海を望む
                                         
 いよいよ象潟(にきさがた)に向かう。

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山居倉庫と北前船のマンホールデザイン      日和山と日本最古燈台マンホールデザイン

                                               
 
 
 
  ㉑ 象潟を自転車で走る につづく