shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

2017『星の巡礼・奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 46

2017『星の巡礼奥の細道紀行-句碑の前でわたしも一句』 46
 
 
8-1 金沢 ⇒ 山中 ⇒ 福井 <奥の細道紀行 8>
        芭蕉曽良は、金沢で長逗留したあと、小松を経由して山中温泉に向かう。
        ここ山中温泉から芭蕉は、曽良と別行動をとる


 
㉖ 金沢を自転車で走る   2017515日)


金沢は、前田家の城下町である。


芭蕉曽良は、元禄2年(1689715日(陰暦)、高岡を出て、倶利伽羅峠木曽義仲に思いを寄せ、その足で金沢まで歩き、「宿・京屋吉兵衛」で泊まっている。 翌日からは「宿・宮竹屋喜左衛門」で723日までの9日間金沢に長逗留することになる。


717日、源意庵(浅野川に架かる大橋近くの立花北枝亭)に招かれて「あかあかと日は難面も 秋の風」を披露している。  立花北枝は研屋(とぎや)で、この年から芭蕉に師事していた。


720日、犀川沿いにある斉藤一泉亭で「残暑暫手毎にれうれ瓜茄子」を発句として歌仙をまいている。


このように、金沢俳壇の人々にとりまかれ蕉風の広がりを実感すると共に、越後路での辛さを払しょくするがの如く長逗留している。


また、会うことになっていた俳人であり、葉茶屋を営む小杉氏(通称:茶屋新七、俳号「一笑」)が前年の暮れに亡くなっていることを伝えられる。 722日に行われた願念寺での一笑追善会で芭蕉は追悼の句として「塚も動けば我泣き声ハ 秋の風」を手向けている。 句碑はおなじ願念寺にあり、一笑の辞世の句を刻した「一笑塚」もある。


 
2017514日、こちらは、「道の駅 倶利伽羅源平の郷」にある倶利伽羅塾温泉「源平の湯」につかり汗を流した後、近くの空き地で設営し一泊する。


515日早朝、0500 に「道の駅 倶利伽羅源平の郷」を出発して、金沢の南にある北陸鉄道石川線終着「野町駅」前にあるコインパークに駐車し、金沢における芭蕉の足跡<A.金沢寺町ルート:寺町台寺院群>と<B.金沢東山ルート:卯辰山麓寺院群>の2コースに分けて、自転車でまわることにした。 最後に<兼六公園>で締めくくった。 その後、車で金石港近くにある本龍寺に立ち寄り、芭蕉句碑「小鯛さす」と対面した。


イメージ 1
北陸鉄道石川線終着「野町駅」-金沢サイクリング出発地
 
イメージ 2
 旧三間道に金沢町屋が並ぶ

 
奥の細道 金沢>


卯の花山・くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也。爰に大坂よりかよふ商人何処*と云者有。それが旅宿をともにす。一笑と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに、塚も動け我泣声は秋の風
ある草庵にいざなはれて  秋涼し手毎にむけや瓜茄子
途中  あかあかと日は難面もあきの風


<現代語訳>


卯の花山、倶利伽羅峠を越えて、金沢に着いたのは陰暦七月十五日。ここに大坂から商いに来ていた何処という薬売りがいたので、旅宿を共にした。一笑は俳諧に優れた才能を持っているという評判がうすうす江戸まで聞こえていて、世間でも期待の人だったのだが、昨年の冬に早逝したという。その兄が追善供養をするというので、
塚も動け我泣声は秋の風
ある草庵に招かれて  秋涼し手毎にむけや瓜茄子
小松へ向かう途中での吟  あかあかと日は難面もあきの風


 
◎金沢を自転車で走るルート   <約15km / 5H>

イメージ 3



◎恐れながらもわたしも一句
 
8.金沢 ⇒ 山中 ⇒ 福井 ⇒ 大垣  <奥の細道紀行 8>
             芭蕉曽良の句>       <恐れながらわたしも一句-實久>
㉗金沢    
「あかあかと 月はつれなくも 秋の風 」  犀川大橋 「溶けなじむ 海面の夕日 夏の風」
(あかあかと つきはつれなくも あきのかぜ) 成学寺・兼六園 (とけなじむ うなものゆうひ なつのかぜ)
「春もやや 気しき調ふ 月と梅 」 本長寺 「咲くツツジ 咲かぬモミジも 常ならむ」 
(はるもやや けしきととのう つきとうめ)    (さくもみじ さかぬもみじも つねならむ)     
「塚も動け 我泣声は 秋の風 」 願念寺にある 「命逝く 泪霞むや 夏の暮れ」
(つかもうごけ われなきごえは あきのかぜ) 一笑追悼の句 (いのちゆく  なみだかすむや なつのくれ)
「秋涼し 手ごとにむけや 瓜茄子 」 長久寺 「夏の露 宇宙覗けと 星の下」        
(あきすずし てごとにむけや うりなすび)   (なつのつゆ うちゅうのぞけと ほしのした)
「ちる柳 あるじも我も 鐘をきく」 宝泉寺 「子来りて 迎える坂や 夏の汗」
(ちるやなぎ あるじもわれも かねをきく)   (こきたりて むかえるさかや なつのあせ)
「小鯛さす 柳すずしや 海士が軒」 本龍寺 「夕日落つ 蕉碑や影も 松の中」      
(こだいさす やなぎすずしや あまがいえ)    (ゆうひおつ しょうひやかげも まつのなか)
 「秋さびし手毎にむけや瓜茄子」 斎藤一泉亭に 「したたりし 汗も味する 爪茄子」
(あきさびし てごとにむけや うりなすび) 遊ぶ(推敲前) (したたりし あせもあじする つめなすび)
「此の山の 神にしあれば 鹿と花」 小坂神社石段右 「風揺らぐ 鎮守の杜の 木洩れ日や」
(このやまの かみにしあれば しかとはな)   (かぜゆらぐ ちんじゅのもりの こもれびや)
 


芭蕉  「あかあかと 月はつれなくも 秋の風 」  (あかあかと つきはつれなくも あきのかぜ)
           解説 : 一句は忍び寄る秋を「目にはさやかに見えねども」感じ取っている季節の変わり目を描く。
                     背後に「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」『古今集』        
                     がある。「つれなくも」は、さりげなくとか、そ知らぬさまの意


芭蕉  「春もやや 気しき調ふ 月と梅 」   (はるもやや けしきととのう つきとうめ)
           解説 :長い冬が過ぎ去って、梅が咲き始めた。それだけでも十分春を喜ぶのだが、加えて月も出た。
                     これで早春の役者は十分に揃ったのである。おだやかな季節の移り変わりをゆったりと画と
                     句に表現している。
                     元禄6年(16931月中旬、許六の江戸旅亭(井伊藩邸のなかにあった)で描いた俳画の画賛。
                     (許六―彦根藩士・本名百仲・芭蕉十哲の一人、絵では芭蕉の師)


芭蕉  「塚も動け 我泣声は 秋の風 」   (つかもうごけ われなきごえは あきのかぜ)
           解説 :この作は722日。一笑追善会での作。芭蕉は金沢では一笑に会えるとばかり思って旅をし
                    てきて、ここ金沢に来て愛する弟子の悲報に触れた。その激しい悲愁の句 


芭蕉  「秋涼し 手ごとにむけや 瓜茄子 」   (あきすずし てごとにむけや うりなすび)
           解説 :ここで「瓜」は芭蕉の好物の真桑瓜のことだが、問題は茄子である。ナスは皮をむいて食べる
                    のには適さない。アクが強くて食べられない。ここでいう「茄子」は「水ナス」のことで、古来
                    泉州の特産、甘く水分の豊富なナスで生食野菜として古くから夏場好まれたようである


芭蕉  「ちる柳 あるじも我も 鐘をきく」   (ちるやなぎ あるじもわれも かねをきく)


芭蕉  「小鯛さす 柳すずしや 海士が軒」   (こだいさす やなぎすずしや あまがいえ)
           解説 :漁師の女房が亭主の釣ってきた新鮮な小鯛を柳の枝に挿していた、つまり鰓を開いて口から
                    鰓に柳の枝を貫通させて一聯の串刺しにしていたのであろう。これを漁師の軒先にでも吊るし
                   て乾燥させて売ったのかもしれない


芭蕉  「此の山の 神にしあれば 鹿と花」   (このやまの かみにしあれば しかとはな)


恐れながらわたしも一句
實久  「溶けなじむ 海面の夕日 夏の風」   (とけなじむ うなものゆうひ なつのかぜ)
            意味 : 海面に夕日が溶け入る瞬間に、夏の風が寂滅を運んでくるではないか


實久  「命逝く 泪霞むや 夏の暮れ」   (いのちゆく  なみだかすむや なつのくれ)
            意味 : 尊い命がこの世を去ってしまった、この寂しさに夏の暮も霞みて、泪しているではないか
            (願念寺で)


實久  「夏の露 宇宙覗けと 星の下」   (なつのつゆ うちゅうのぞけと ほしのした)
            意味 : 一粒の夏の露に星空が映り、まるで宇宙を覗いているようだ


  「子来りて 迎える坂や 夏の汗」   (こきたりて むかえるさかや なつのあせ)
            意味 : 遠方から子供が帰ってくるという、汗をかきかき上ってくる子を坂で迎えたい
            (宝泉寺前の子来坂にて)


實久  「夕日落つ 蕉碑や影も 松の中」   (ゆうひおつ しょうひやかげも まつのなか)
            意味 : 夕日が落ちていくなか、芭蕉翁の句碑の長い影が松林に伸びていくさまに感動すら覚える
            (金石港 本龍寺にて)


實久  「したたりし 汗も味する 爪茄子」   (したたりし あせもあじする うりなすび)
            意味 : したたる汗も 瓜茄子(うりなす)を塩味にして美味しいものだよ


實久  「風揺らぐ 鎮守の杜の 木洩れ日や」   (かぜゆらぐ ちんじゅのもりの こもれびや)
            意味 : 鎮守の杜に爽やかな夏風が吹きゆき、木洩れ日も揺れて見えることよ (小坂神社の石段にて)


 
<A.金沢寺町ルート:寺町台寺院群>


05:45 北陸鉄道野町駅前スタート、西茶屋街を走り抜け、国道157号線の東側の路地を入った右側の門前に芭蕉句碑「塚も動けば」と境内に「一笑塚」が建つ一笑の菩提寺「願念寺」がある。 俳人一笑の人となりを表すような質素な、寂しさ漂うお寺である。


一笑は金沢における蕉風の先駆けをなした俳人である。一笑は芭蕉に一度も会わずに36歳で他界している。 一笑の辞世の句「心から 雪うつくしや 西の雲」。

イメージ 4 イメージ 5
 願念寺正面中央に芭蕉句碑「塚も動け」が建つ                      芭蕉句碑「つかもうごけ」

その先に本長寺があり、芭蕉句碑「春もやヽ 気しき調ふ 月と梅」(元禄6年に発表した句)がある。

イメージ 6 イメージ 7
 本長寺境内にある芭蕉句碑「春もやヽ」                                      本長寺正面


長寺より北へ向かうと蛤坂がはじまるあたりに成学寺があり、俳人堀麦水らが建てた芭蕉の古い句碑「あかあかと 日はつれなくも 秋の風」がある。

イメージ 8 イメージ 9
 成学寺正面                                                      芭蕉句碑「あかあかと」

蛤坂を(はまぐりさか)下り、犀川大橋より犀川南畔を200mほど上った休憩用ベンチのあるところに芭蕉句碑「あかあかと 日は難面も 秋の風」があるが、探すのにというよりも気づくのに時間がかかった。はじめただの自然石と思っていたからである。

イメージ 10 イメージ 11
蛤坂のカーブに合わせて建てられている旧旅籠               犀川畔の芭蕉句碑「あかあかと」(奥・犀川大橋

                          金沢を自転車で走る―② につづく