■<潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅630km 7日目> 2018年9月7日
― 大村公園(大村市) ⇒梁川公園(長崎市) ― 走行距離 35 km
<露営地・ 大村公園を早朝、出立する>
夜が明けないまでに撤収が完了し、周りの清掃を終えて、感謝の祈りを捧げての出発である。曇り空であり、朝明けも遅いようである。新たなエネルギーを蓄えた体を自転車に乗せて走り出した。今日は切腹坂のある日見峠を越えて待望の長崎に入る。
<鈴田牢跡>
露営地・大村公園前の国道34を南下し、JR大村線岩松駅手前で信号与崎交差点を県道37に入って最初の信号を西へ入ってしばらく自転車を進めると、左(南)側に標識があり、すこし標識からずれた小道を上がって行くと、広場に真っ白な十字架が建ち、大村湾を見下ろしている鈴田牢跡に着く。十字架正面右手に牢屋跡があり、現在は石の祭壇が置かれている。
鈴田牢は、1617(元和3)年から5年間、長崎奉行によって捕えられた外国人宣教師や信者など35人が収容された牢屋である。
戦国時代末に、領主大村純忠がキリシタン大名となり、領民すべてがキリシタンになるなど、大村領はキリスト教の盛んな土地であった。しかし、江戸時代に入り、禁教が厳しさを増し、宣教師たちに国外追放の命令が出ていたが、ひそかに日本に残って布教活動を行う者もいた。
4年間入牢したスピノラ神父が書き残した牢の平面図と手紙から、非常に狭い柱で囲まれた12畳の鳥籠のような牢屋だったことがわかる。
曇天のもと、小高い丘の上にある鈴田牢跡に立つと、さらし者や見せしめとしてこの地を選んだのであろうか、当局の厳しいキリシタン弾圧の様子が伝わってくる。
しかし、肉体に加えられた迫害と苦しみをよそに、聖なる囚人たちは神への愛に満ち足り、悲惨きわみない牢獄も、敬虔な修道院の如くであったという。
海風に乗って、牢屋で宣教師やキリシタン信徒たちが監視の目を盗んで歌う賛美歌が聴こえてくるようである。
< 試練 > 賛美歌398
我が涙 我を浸して
耐え難き 悩みの夜を
ひたすらに 主を呼びまつる
我が声に 答えたまえ、我が主よ
鈴田牢跡
牢跡にある石の祭壇
<大村湾沿いの県道37、国道34をへて長崎に向かう>
大村湾を楽しみながら県道37号線をサイクルし、西諫早インター近くで国道34号に入り、長崎までの自転車旅である。長崎は自然の要害で到達するためにはどの道であろうと峠を越えなければならない。切腹坂手前の多良見でわが愛車WILD ROVER号と同名の「ROVER」(ランドローバー)に出会い、記念写真を撮りもした。
トンネルを抜けるのに長崎港からの向かい風を受けながら10分ほどかかって通り抜けた。
大村湾を眺めながら県道37号線を快走する WILD ROVER と LAND ROVER
切腹坂より長崎港方面を見る
切腹坂石碑
<切腹坂> (はらきりさか)
解説板によると「熊本細川藩の家臣某が、長崎より熊本に帰郷のさい、平家の落人の末裔の農民作左衛門が優れた棒術使いと聞き、試合を申し込んだ。試合の結果武士は敗北し無念やる方なく、宿部落を見下ろす場所で武士の面目と切腹した。村人は武士を丁重に葬った。」とある。天狗を思い出しながら腹切り坂を上りっ切った。
国道34号線に面した長崎市役所の総合案内所で地図を手に入れ、JR長崎駅にある「長崎市世界遺産案内所」で情報パンフを収集する。まず」向かったのが、駅の向かい側の坂をのぼった西坂公園に建つ「日本二十六聖人記念碑」を訪れた。
<日本二十六聖人殉教地> 地図⑧
キリストが十字架に架けられたゴルゴダの丘に似ていることから、信者の願い出によりこの地が選ばれたという。二十六聖人の殉教の後も、多くの信徒が火あぶり、水責め、穴吊りなどの方法もってこの地で処刑された。
また、この地はカトリック教徒の公式巡礼地の一つに指定されている。
ここ西坂公園の西側に奇抜な双塔の教会・聖フィリッポ・デ・ヘスス教会(記念堂)が建つ。
日本二十六聖人殉教地 記念館
日本二十六聖人殉教地の石碑
聖フィリッポ・デ・ヘスス教会(記念館) 地図⑦
<大浦天主堂へ向かう>
大浦天主堂に向かう石畳みの坂の右側に聖コルベ神父記念館がある。
<聖コルベ神父記念館> 地図②
ポーランドのカトリック司祭で、フランシスコ会のコルベ神父は1930年長崎にきて、聖母の騎士修道院(カトリックの女子修道会)を創設する。6年後に第二次大戦中の祖国ポーランドに戻るが、アウシュビッツ強制収容所で餓死刑に選ばれた男性の身代わりとなって亡くなった。コルベ神父は、「アウシュビッツの聖者」と呼ばれ、カトリック教会の聖人として列せられた。
長崎港ターミナル前で 聖コルベ神父記念館入口
1864年、幕末の開国に伴い開港された長崎の外国人居留地に、先ほど詣でた西坂公園の「日本二十六聖人」の殉教に捧げられて建立された聖堂が大浦天主堂である。天主堂は西坂公園の「日本二十六聖人殉教地」に対面して(向かって)建てられている。
また、献堂直後の1865年3月、黒島の日数集落の潜伏キリシタンの指導者であった出口吉太夫とその息子・大吉親子が、ローマから遣わされた神父達がいることを聞きつけ、命がけで長崎に渡り宣教師達に会いに訪れ、信仰告白をすると共に、黒島に600人の隠れキリシタンが潜伏している状況を報告した。
この「信徒発見」という宗教史上前代未聞の大ニュースが世界中に発信されたのである。
<モンキアゲハ蝶との再会>
大浦天主堂の近くで、大きくて真っ黒な羽に二つの白斑紋をもった蝶に出会った。
再会したモンキアゲハ蝶
最近すっかり街の銭湯が姿を消しつつある。往年の長距離移動サイクリストにとっては、気軽に疲労した体を回復させ、汗を流す庶民の湯がなくなりつつあり残念でならない。
「福の湯」への途中にある梁川公園が長崎滞在中の露営地(テント設営地)となる。
露営の楽しさ 「一畳の世界」 <露営のすすめ>
テントのなかは、夢を乗せた宇宙への旅、その操縦席である。
テントは宇宙に浮かぶスペースカプセルでもあるのだ。
テントの中は、祈りの場であり、瞑想・坐禅のスペースであり、思索・発句の空間であり、
そして何と言っても夢を膨らませる安らぎの空間でもある。
またテントの中から、人間社会を、天体の星座を、大自然の音や、つぶやきを観賞し、観察するネイチャーランドである。神と対峙し、神と対話する一匹の子羊の牧舎でもある。
今回の「星の巡礼 潜伏キリシタンの里探訪 自転車の旅650km」においては、天候、体調の許される限り露営を貫く覚悟でスタートしている。テントを訪れる人をはじめ昆虫や生き物と楽しい会話もまた至福の時間である。
「一畳の世界」に凝縮された露営の楽しさを、生命ある限り味わいたい。
そして、露営をとおして宇宙や、病める友たちとの交歓ができることに感謝したい。
雨が降ってきた。闇夜がひろがる。そしてこころの耳が目を覚ましはじめた。
ああわれいま長崎におりて
小雨、幕屋をたたき 雨滴音、こころを打つ
ひびきし闇夜、拡がりて天空を覆う
この時止まりてや、われまた沈思せり
ああわれいま長崎におりて
雨に打たれしを喜び、殉教をおもう
長崎市・梁川公園にて露営 テント泊
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につづく