shiganosato-gotoの日記

星の巡礼者としてここ地球星での出会いを紹介しています。

美しき志賀の里は実りの秋である

わが家は比良山系でただ一つのロープウエーがある『びわ湖バレー』の麓、標高170mのところにある。
この標高は自然界との境界線でもある。僕たちはここ『志賀の里』に住んでいる。
 
比良山系に生息する野生動物たち、鹿・イノシシ・アライグマ・猿・イタチ・熊たちとの共存地帯であるとともに、落葉樹と針葉樹の混在地帯でもあり、人里が入り組んだ樹海のきれいな楽園である。
 
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冬季は日本海福井敦賀より寒気が鯖街道を南下し、比良武奈ヶ岳を越えて<八荒おろし>となってここ志賀の里を襲う。積雪も年数回膝あたりまであることもあり、自動車も使用不可となる時もある。
 
最近は温暖化の影響かめっきりへったが、よくリュックを担いで買い出しに歩いて下ったことが懐かしい。
 
この強風<比良おろし>はびわ湖をとおり瀬田川宇治川・淀川をぬって大阪港へ抜けるのである。
そう、lここ志賀の里は日本海の寒気団や海風の太平洋へ抜けるとおり道なのである。
 
 
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東を見下ろすと琵琶湖がひらけ、遠くに鈴鹿山系が朝日の影をつくる。
北にに百名山伊吹山や霊仙山、近くに近江八景のひとつ近江冨士がその雄姿をみせる。
西には比良山系の権現山996m・蓬莱山1174m・打見山1108m・比良岳1105m・堂満岳
1057m・釈迦岳1060mと南より北へと峯をなしていてる。
 
 
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また歴史的に見て信長・秀吉の時代、この比叡山からの連山・比良山系には天台宗延暦寺の修行道場としての百数ヶ寺の僧堂が連なっていた。
1571年、織田信長は敵対する越前の朝倉や北近江の朝倉をかくまったとして比叡山の焼き討ちをした。
この時、信長は延暦寺をはじめ比良連峰に連なる僧堂すべてを焼き討ちしたのである。比良縦走をするとき朽ちた僧堂の礎石を見ることができる。
 
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在所である大津市木戸の『木戸』の由来は、秀吉がこの地での相撲興行に金銭(木戸銭・入場料)をとらせたことからきている。 
ここ志賀町木戸は奈良時代の相撲界の横綱であり初代行司として活躍した『志賀清林』の生誕の地として相撲界では有名である。
 
山々に取り囲まれたびわ湖の中心にここ志賀の里はある。 
ここは日本の、そしてこの星である地球の、いや宇宙の中心・ヘソに位置しているんだと思っている。
夜空を見上げると流星が飛びかうなか北極星を中心に満天の星が悠久の時間を回遊し
ているのだ。
 
びわ湖にかかる虹や天使のハシゴ、朝日の美しさは天下一と自負している。
わが家の二階から四季おりおりのこれらの絶景を楽しんでいる。
 
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 デッキでの森林浴(Forest Bathing)・日光浴(Sun Bathing)・読書(Reading)・瞑想坐禅(Meditation/Zazen)バーベキュー(BBQ)・ブランチ(breckfast/Lunch)・ライトアップナイト・ワインパーティ・星空観察は最高だ。
 
デッキ下や地下室は趣味の空間となっている。木工用ツールや資材置場・陶芸用空間・
登山用具棚・ノルディックスキースノーシューの棚・オートバイコーナー・サイクルコーナー・カヤックコーナー・ワイン貯蔵棚と男の世界が広がる。
 
春秋には比良山系の山歩きやテント泊による比良縦走登山に出かけ、最近は京都北山
にも足を延ばしている。 次なる『中央分水嶺・高島トレイル』のテント泊縦走を計画しながら二万分の一の地図とにらめっこし野帳作りに熱中している。
至福の時間である。
 
ここ志賀の里も秋の実りに輝き、動物たちも木の実をもとめて走りまわっている。
ぼくも猿軍団に負けずに毬栗(いがくり)をわって栗をひろった。夕食は栗ご飯だ。
 
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                  <完>