<潜伏キリシタンの里探訪 自転車巡礼にあたって 序章Ⅱ>
日本人は、中学や高校時代の日本史において「隠れキリシタン」について学んできた。わたしもまたその一人であり、正直言って世界遺産に認定された「潜伏キリシタン関連遺産」の「潜伏キリシタン」と、記憶にある「隠れキリシタン」の違いが分かっていなかった。
先祖の霊を祭る仏教や、地の神様を祀る神社のなかに身を隠した。 その後は、神父の指導もなく、新しい教義や解釈や指導もなく、自分達が選んだ指導者「御爺様」を中心に、当時の教えを忠実に守り、形態を変え、何代もの世代を越え、禁教解禁後カトリック教会に復帰せず、現在に伝え来たのが「隠れキリシタン」の成りたちである。また学術的に「かくれキリシタン」、「カクレキリシタン」とも呼ばれることがある。
このように、ある地域、村落がそのままタイムカプセルのように、時代をそのまま現代に姿を継続してきた形態は、世界でも例を見ない継承の仕方であると言われている。
ヨーロッパやアジアの一部の地域で隠れキリシタン的な歴史や地域を見ることができるが、迫害は徹底していて、迫害の時代にすべての痕跡を弾圧消滅させてしまっていて、遺跡として存在しているにすぎない。
今回世界遺産に登録された「潜伏キリシタン」とは、キリシタン弾圧でも信仰を捨てずに持続させ、解禁後カトリックに復帰したカトリック教徒や神父(宣教師)のことをいう。つまり、九州の北西部に解禁後建てられた現在の教会群を維持し、カトリックに復帰した信者の事を「潜伏キリシタン」ということがこの自転車の旅で理解することができた。
いま少し、「潜伏キリシタン」誕生の契機となった歴史に触れておきたい。
1637―1638年肥前国島原地方と肥後国天草島の農民が起こした6ヵ月間にわたる農民一揆のことを「島原・天草の乱」という。この地方は以前キリシタンが栄え,当時もひそかにキリスト教を信仰する農民が多かった。
相次ぐ凶作にもかかわらず,島原藩主松倉氏の過酷な年貢取立てが続いたため,農民の不満は高まり,16歳のキリシタン益田時貞(天草四郎時貞)をトップとした総勢37000といわれる島原と天草の農民は島原の原城にたてこもった。
この情報をえた幕府側は、一揆側の結束を崩すチャンスと文矢を城内に打ち込む。 その内容は、結束を乱すことを目論んだ懐柔策が提案されていた。 投降すれば、罪を問わず自由を与えること、年貢を軽減すること、帰村を認めることなどが書かれていたという。
しかし、天草四朗の参謀であり、幕府との妥協を進言していた山田右衛門の進言はとり入れられず全員玉砕の道を選ぶことに城内は一致する。
<遠藤周作著 小説・映画「沈黙」から見る禁教時代>
「島原・天草の乱」後から始まるキリシタン禁教により、すでに日本で宣教活動をしていたポルトガル神父・フェレイラ師の消息を尋ねて若き神父ふたり、ロドリゴ神父とガルペ神父がキチジローの案内で日本(現在の長崎県外海・黒崎集落付近)に潜入する。
ここからは、遠藤周作著「沈黙」を読み、映画「サイレンス」を観賞し、禁教当時の弾圧の情景を見ていきたい。
マカオでの二人の若き神父、ロドリゴとガルペは唯一人の日本人キチジローに案内され、日本の貧しく、ひなびた漁村「外海・トモギ村」(長崎県角力灘に面した外海・そとめ)に上陸するが、暗闇の海は荒れ、からだは海水に濡れ、波は前進をはばむ。これは映画「沈黙」(遠藤周作原作)のシーンである。恩師フェレイラ神父の消息を知るため日本への密入国を企てる。
トモギ村は、黒崎集落(外海・そとめ)であろうと思われる。
黒崎集落には、遠藤周作氏が、この場所(外海)を舞台に小説「沈黙」を書くきっかけとなった田舎町のモダンな教会「黒崎教会」が建つ。
二人の神父は、潜伏キリシタンと化した「外海・そとめ」を、師フェレイラ神父の消息をさぐる拠点としたのである。
ここ外海の櫂坂公園(遠藤周作文学館より国道202号線を北へ約1km先)にテントを張り、天地創造以来繰り返されている天体の営み、西に沈む太陽を見ている二人の若き神父に自分を重ねながら、神の偉大な御業(みわざ)である夕焼けを観ることとなった。
この夕焼けの美しさは、かれらにポルトガルのリスボン沖、大西洋に沈んでいく夕陽を思い起こさせたに違いない。それも最果て東の陽いずる国、日本、師フェレイラ神父のいる日本ではじめて見たのである。その感動はわたしにも伝わってくるようであった。
天池創造 外海(そとめ)の夕焼け (外海・擢坂岩公園にて)
<光を求めて>
いま、外海の櫂坂公園のテントの中の暗闇に照らされた一筋の蝋燭の火がこころを温め、全身にエネルギーをみなぎらせる。
この蝋燭の火でさえ与えられなかった二人の神父は、暗闇に潜む神、いや自分の心に宿る神と対峙し、自分達に襲いかかる運命をじっと凝視していたに違いない、と思うだけで神父たちの息遣いが聴こえてくるようだ。
ゆらぐ蝋燭の光り、それは神の声の震えのようにみえる。
わたしはいま外海の櫂坂公園に露営し、キリシタン弾圧の歴史の中に身を置く多くの隠れキリシタンの信仰の強さに触れている。このテントの暗闇の中に沈黙の神がおり、ユダのようなキチジローの息遣いを感じているひとりの弱き自分がいることの現実に押しつぶされそうである。
ただ、今にも消え入りそうな蝋燭の火の温もりが神の眼差しのようにやさしく見守ってくれているようであり、静かな眠りに導いてくれそうである。
信仰をもつということは、信仰を試されながら生きることに変わりはない。
いまを生きるわたしもまた、踏絵をまえにこころ動く弱き人間のひとりである。
では、旅日記で「潜伏キリシタンの里探訪自転車の旅630km」を紹介していきたい。
行程630km、20日間という自転車による長い旅である。ご一緒していただければ幸いである。
旅日記
につづく